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【ネタバレ】舞台『おねだり』考察・感想

舞台「おねだり」 10/1にマチソワ観劇しました。
東京から帰った早朝、ぽつりと呟きましたが、全体的に芸術性の高い舞台で(わたしが芸術とは、ってことを明確にわかってないのは目をつぶって)、凄く考えさせられる、深い作品だったなと感じました。
自分はこういう人の醜い部分がテーマになった舞台を見るのが初めてで、うまく消化しきれてない部分もあるのですが、色々考察してみたいなと思います。
考察といっても、自分は学が乏しいし、観劇経験も語彙力も少ないので、たいしたことは言えません。人並み程度の感想です。
そもそも、この舞台から受け取ったものを言葉にするのがナンセンスなのかもしれないなって感じてます。
だけど、自分なりに「おねだり」のことを考えてみたいなっていうのと、推しへのお手紙に感想書く前にまとめておきたいなっていうので(多分ここの気持ちがでかい)、つらつらと書いていきたいと思います。長くなりそうですし、途中台詞とか曖昧な部分ありますが許してください。

 

 

この作品のテーマ、掘り下げれば掘り下げるほどいろんなものがあると思うんです。
愛とか、資本主義とか、他にもたくさん…
人間関係ひとつひとつに注目すると、その繋がりの数だけテーマがあって。
いや〜〜…家城さん、凄すぎる…。
家城さんの作品は今回が初めて(多分)なんですが、良い意味で何者なんだろうと思いました(?)
よく映画や小説などの、物語作品に関して耳にするのが、登場人物の性格は一貫していないといけないというお話。
勇敢な人はずっと勇敢で、アホな人はずっとアホで、みたいな。
確かに今まで横暴な人が、次のシーンでは気遣い溢れる人に、なんてことはないですよね。
だけどわたしは人間って、そんなに性格一貫してないよなって思ってました。
好きな人には気を使うけれど、どうでもいい人には適当だったり。
元気な日は嫌な人とでもなんとか笑顔で話せるけど、イライラしてたら態度や言葉に出ちゃったり。
人間って一貫したものじゃなくて、その時、体調、相手、悩み、機嫌、年齢、などなどほんとに細かい環境の変化で違う表情を見せる生き物だよなっていう、その登場人物性格一貫云々の話を聞いたときの感想がありました。
だから、物語に出てくる人間は「人間らしい人間」ではないのかなって。
「人間らしい人間」だけだったら、それはただわたしたちが生きてる日常と変わらなくて。終わりも見えない、物語とはいえないものになるんだろうなって思ってたんです。
だけどこの『おねだり』、凄いと思ったのが、そういった「人間の歪み」を抱えた人が集まって、だけど物語として完成されていて。
もはやその「歪み」が一貫されていたように思います。
本当に凄い、凄いという言葉しか出てこないのが悔しいです。

 

 

例えば、様々な会話に出てきた「結果論」という言葉。
戸崎は楓に、「電車の中で、電話に出た女性がいた。普通それは迷惑行為となるが、電話の相手が子どもだった。それでもあなたは注意しますか(意訳)」ということを問いかけます。
ここの滝口さんの演技がめちゃくちゃ好きなんですけど、わたしの推しがかっこいい話はひとまず置いといて。
その問いに楓は「子どもだったのは結果論でしょう。わたしは注意します。」と答えます。
だけど、翔太が子どもをかばって死んだのも結果論だと楓は思っているのでしょうか。
「お前が子どもから目を離したから翔太が庇ったんじゃない。お前が翔太を殺したんだ」
大好きな恋人が命を落としたのは結果、なんて割り切れないですよね。
割り切れないからこそ、憎しんでしまう。恨んでしまう。死ねばいいって思ってしまう…。
事象の重さが違うのもあると思いますが、電話の件では冷静に判断を下す楓が、翔太のことになると感情的になってしまう…。
そんな性格のブレがとても人間らしくて、この作品の登場人物は美しいと思いました。

 

 

そもそも結果論ってなんなんだろうって調べてみたら、こんな面白いことが書いてありました。
「けっ かろん -くわ- [3] 【結果論】
事が起きたあとで,そのわかっている結果を前提としてあれこれ論ずる無意味な議論。」
(http://www.weblio.jp/content/結果論)


このページを見た瞬間思い浮かんだのは、佐川心が戸崎に「中二病か」と言われるこのセリフ。
「この世は全てが結果論ですよ」
つまり心は「この世は全てが無意味」だなんて言ってるんですよね。
わたしは結果論と中二病がうまく繋がらなくて、ん?って思ってたんですけど今解決しました。こりゃ中二だ。


少し脱線しますが、戸崎が結果論→無意味からの中二病って繋げられたの頭良くないですか?!
これみんなすぐリンク付けできます?巷ではマジカル中二病バナナで結果論といえば無意味、無意味といえばこの世という流れが通るんですか??わたしの語彙力が無いだけなんですかね…何か結果論と言う言葉で古傷が疼く方がいらっしゃったら是非お話し伺いたいです。
フリーライターという言葉の世界で生きている彼だからこそできた切り返しなのかなって思うとゾワゾワします。ここまで家城さんが考えていらっしゃったのかが気になりますが…。


話戻します。
戸崎曰く中二病な心くんですが、中二病ってやはりどこか歪んだものへの興味があるからそういう風に揶揄されると思うんですよ。
兄の翔太が狂気の筆頭という感じがしますが、弟さんにも少なからず受け継がれていたんだなぁと。

 

 

様々な方の感想を見てると、やはりお見かけするのがその兄翔太の狂気・歪みに関してが多いですよね。
あんな爽やかな佇まい、声色、表情で、さらさらとさもお茶漬けですよというように歪みを出してくるので、最初は「あーいるよねこういう男(笑)意識高いな〜(笑)」と思ってたのに、2公演目になるともうそんな風には思えなくて…。
久保田さんの演技を生で見るのは初めてだったのですが、あの翔太を作り上げてるのが本当に凄い…!
わたしは翔太はただ狂った人間じゃなくて、愛情深い人間なんだなとも思います。
夏祭りの時も子どもを助けているし、弟にはたまに怖いとは言われていても慕われていたし。面倒見がいいんですよね。
きっと事故の時に翔太が子どもを庇ったのは翔太にとって当たり前なこと。
営業が嫌で泣いた楓に吐いた毒も、裏には仕事への愛があって。
稼ぎたいなんて考えないで、経済を回せばみんなにお金が行き渡るなんて、全然見知らぬ人の生活が苦しくならない程度の富をもたらしたいという、博愛中の愛ですしね。


翔太の歪みは、きっと愛そのもので、
そもそも愛自体が綺麗なことばかりじゃ無い、歪みを持つ感情だから。
翔太は愛に対して素直でまっすぐだったからこそ、歪んだんだなと思いました。

 

 

そして佐川楓は、しっかりと翔太の思いを受け継いで、というより翔太を取り込んでいて…。
だけど佐川楓は完全には翔太にはなれなかった。
心に向かって「たかが兄弟が」と首を絞めるシーン、翔太は楓とは離れてただ立っていた。
翔太には心を襲う理由がないから。大切な弟の首なんて絞めるわけがないから。
あの時、佐川楓は豊田楓に戻ったんだなって。
佐川翔太の肉体と共に死んだはずの豊田楓はまだ、豊田楓の肉体に残っていたんだって。


翔太とあの約束をしてから、今まで楓は翔太のことばかりを考えて生きていた。
翔太が死んでからも。豊田楓がどうしたら幸せになるか考え動いてくれた翔太がいなくなってからも、翔太がどうしたら幸せになるか考えて考えて、翔太の夢だった会社を立ち上げて、翔太が言った「資本主義」を実現するために、佐川楓として生きて。翔太と天国で会うために、「死にものぐるい」で働いて。
ずっと翔太翔太翔太で生きて来た楓から出て来た豊田楓に、マチネでは圧倒され、ソワレでは涙が止まりませんでした。

 

 

だけど楓には、楓のことを考えて動いてくれるお姉さんがいました。
風花は、翔太が死ぬ前までずっと楓の願いを叶えて来て。
それは「キチガイ」と揶揄されるほどの徹底ぶり。
お姉さんは「楓に何をしたら幸せか、何をしたらストレスを感じないか」と、翔太が説いた理想の愛を小さい頃からやってのけていた。


その行為の原因となる楓の耳が治っていたと知っても、心の底から出た「よかった…!」という言葉。
もしかしたら、どうしたら楓が悲しい(という言葉が適しているのか少し疑問ですが、他にうまい言葉が見つからないので、負の感情という意味で、悲しいと表現させていただきます)思いをしないか、考えている上で何度も片耳が聞こえないという壁にぶち当たっていたのかな…と思いました。
楓のおねだりを叶えるようになった原因が、楓の幸せを奪っているかもという、このぐるぐるとしたどうしようもない思いがあったのではないかと。
でもその耳が治っていた。ちゃんと聞こえていた。自分がずっと気に病んでいた楓の悲しみは、存在していなかった。
あんなに嬉しそうに「よかった」と言葉が出たのは、素直に妹の耳が治ってて嬉しいだけじゃない。
旦那さんがいうように、弱みを握られてずっと使われていたら、その残酷な行為に怒りとか虚しさが湧き上がるような気もしますが、それよりお姉さんの中には、そのしがらみからの解放や、楓が悲しい思いをしなくて済んだっていう気持ちの方が大きかったんじゃないかなと思いました。

 

翔太と約束するまでは、お姉さんが楓のことを考えて生きた。
即ち、翔太の理論で言うところの、豊田楓の魂はお姉さんの体にあった。
だけど楓が翔太と約束して、楓の魂は翔太の肉体へ。
翔太が死んで、楓の魂は失われた。
それじゃあ、お姉さんの魂は一体どこにあったんだろう。
楓の肉体は、翔太の魂と一緒になるまで、一体誰のものだったんだろう。
そう疑問に思って、わたしなりに答えを出してみたんだけど、ちゃんとお姉さんの魂は楓の中にあったんじゃないかな。100%とは言い切れないけれど。
楓がおねだりすることが、お姉さんを喜ばせているって意識が少なからずあったから、何度も何度もお姉さんにおねだりをした。
翔太に言われたわけじゃないけど、「どうしたらお姉さんを喜ばせてやれるのか」という思いは微かにあって、その問いに楓が出した答えが「お姉さんに『おねだり』すること」だったんじゃないかなって思います。


人と人って、どう足掻いても関係を築くのは相互的になるから、一方的な関係なんてないんじゃないかなと常々思ってて。
やはりここの姉妹の愛も相互的だったんだと思う。
そうじゃないと、お姉さんのことを考えてくれる人がいないなんて辛すぎるから(わたしが)、わたしはこう考えることにします!(?)


物語の戸崎と城戸を殺したのは、荻野風花自身がそう望んだから。
楓のおねだりを叶えることでしか快楽を得られなかったお姉さんが、妹と会わなかった6年間で、荻野風花として、少しずつ少しずつ、自分のために生きられるようになっていったのかもしれない。お姉さんが荻野風花になれて、本当に良かった。

 

 

楓・翔太・お姉さんの3人とは対照的なのが、戸崎勝というフリーのライター。
愛ではなく、欲に素直な人で、人が苦しんでもリスクがあっても自分のための快楽ならやってのけるような、そんな男でした。
作中で「可哀想なやつだな」と揶揄された彼は、だけど現実にはありふれた、いたって大衆的な人間だと思います。
わたしだってどちらかといえば戸崎寄りの考えですし、贅沢をしたいからお金を稼ぎたいなと思います。口から石油出したいです。
そういう、一般的な資本主義を唱えるあたり、翔太たちとは反対の位置にいる人間。


それと、戸崎はとても頭がいいんだと思います。
たまたま昔追っかけていた人間の妹を見つけて、調べに調べて1つの真実にたどり着いて…。って言うけど、なかなか体力のいることだと思うんです。


わたしは某見た目は子供頭脳は大人な国民的殺人ラブコメも大好きなんですが、主人公である工藤新一は皆さんご存知の通り、真実を追い求めることにひたむきです。
そんな彼は昨年公開されたエピソードONEで「難事件であればあるほど、ワクワクするんだよ! 策を弄した犯人を追い詰める時のあのスリル! あの快感! 一度やったらやめられねーぜ、探偵はよー!!」(引用:http://conan-4869.net/post-29378/3)
と言っていました。
引用先の方が言うように、このあと新一はコナンになって、推理で犯人を追い詰めて自殺させてしまうという、彼にとって大きな大きな事件を抱えてしまうのですが…
なぜ突然コナンの話をしたのかというと、戸崎は「古畑は刑事だろ。俺は刑事じゃない。フリーのライターだ」とは言っていましたが、少し刑事や探偵といった方の気質があるんじゃないかと思ったからです。


たまたまとはいえ、掴んだヒントから調べに調べて真実にたどり着いて。当事者の周りの人間の気持ちを満たすことで動かして、真実の裏付けを取ろうと畳み掛けた…。
自分が荻野風花に目をつけていることがばれ、みんなへ自分が推理した「殺人の委託」という真実を語る時のあの高まった口調、笑い声…。
あれが、工藤新一が言うところの「犯人を追い詰める時のスリル・快感」となるのじゃないかなと考えました。
追い詰めるのもそうだし、彼にはこのあと入るであろう莫大な収入が見えていた。お金があると人間気が大きくなりますしね。
考えれば考えるほど、戸崎勝は、たしかにこの物語を引っ掻き回した役だけれど、ちょっと自分の欲へ素直なだけで、あとは大衆的な現代人で、頭の良い人に思えてしょうがない。中二病の件しかり。

 

だけど欲に素直だから楓に「反吐がでる」なんて言われてしまう正義で。
愛による資本主義を説く楓達と、欲による資本主義を当たり前としている戸崎。まるで資本主義という一本の線の、端っこと端っこにいて、お互いにそっぽを向いているようなイメージが浮かびます。
「都合が悪い正義には反吐がでるのか」と笑う戸崎が本当に好きです。人間って、自分の思う正義とは反対のものを認めるのってしんどいですよね。
だからその正義は正義じゃない、自分の正義こそが真の道だなんて、はい論破が絶えないワクワクツイッターランドなんですけど。
でもみんな頭ではわかってるんですよ。自分の正義は誰かにとっては正義じゃないって。
正義って、振りかざしたり押し付けるものじゃなくて、お互いにバランス取っていかなきゃいけないって、理解はできるんです。
だけど感情はそうはいかない。自分の正義が相手にとっては正義じゃないなんて言われたら、「自分にとって都合の悪い正義だからだろ」なんて言ってしまう。
自分以外の正義を否定する楓。そして、それに言い返してしまう戸崎。2人ともとても人間らしくて、本当に生きてるって感じがします。

 

居酒屋の話が展開する裏でも、パゴダで楓と戸崎がインタビューを行うシーンは進んでいました。
楓が戸崎のコーヒーを入れて席を立っている間、オフィスに残された戸崎は考え込みます。
最初は「記事のデザインとか構成とか考えているのかな」なんて、居酒屋の楽しい風景を見ながらチラチラと思ってました。
だけど2回目、彼の思惑がわかってから見ると、この人今何考えているんだろう、さっきまでニコニコしてたけど、頭の中で今どんなパズルが組み立てられてるんだろうと不安な思いにかられました。
言葉がない分、滝口さんの表情しかヒントがなくて、だけどわたしはそれだけじゃ彼が何を考えているのかわからない。
戸崎は自分の腹の中を簡単に見せる人間じゃありませんから、わたしが何考えているの?と感じたと言うことは、あの表情が戸崎勝なんだと思います。うまく言えないけれど、伝わらないのが正解というか…。

 

余談ですが、事務所の写真では前髪ありでしたけど、わたしが見た公演ではセンターで分けられてて、なんだかアワレンとかテキパキとかやってたあたり?の髪の毛長い頃の面影あってすごくきゃーってなりました。いつ見てもかっこよくてどうもしないけどどうしようって感じです。あと衣装がめちゃくちゃ似合っててかっこ良すぎて本当に好き。

 

 

すごく長くなってしまったので、もっともっと書きたいことあるのですが、ここらでフライヤーの話ししたいと思います。
初見でまずびっくりしたのが、紐です。首を吊るやつ。
これ見た瞬間、あ、凄い話になりそうだと思いました。ピンときました。
裏面で皆が持つ花言葉にも意味が色々あるそうなんですけど、全然調べても種類がそもそもわからなくて断念したので、もしどなたかお花詳しい方いらっしゃったら教えて欲しいです。
この紐を掴む腕に何か意味があるんじゃないかと思って、わたしなりに考察して見ました。


わたしは紐の輪に首を通しているのは楓な気がします。もしかしたらお姉さんとか、姉妹2人という考えもあると思いますが、わたしの直感的なイメージでは楓のがしっくりきたので、そう思って考えてみます。


金成公信さん(金田信夫):輪の上の紐。ここを掴むことで、上へ力をかけて真ん中の人間を殺すことも、下へ力をかけて助けることもできる。信夫の立場がわたしは未だうまく消化しきれてないです。楓の過去については何も知らなくて、この話で一番観客に近い立場だった登場人物かも。

長谷川忍さん(荻野寅吉):横側に添えるだけでは、首を括った人間は救えない。風花が戸崎らを殺したのも、あっさりと受け入れていたから、人情に厚いように見えて一番ドライなのはこの人なんじゃないかなと思ってます。

久保田秀敏さん(佐川翔太):輪の下。ここを引っ張ると喉への圧迫が減る。よくドラマやそれこそコナンなんかで首を絞められる人はここをかきむしってどうにかしようとしますから、ここを引っ張ってもらったら大助かりかと思います(?)翔太は死にたい楓を天国に行くためにと生かしていた、生命的には救っていたポジションだったのではないでしょうか。

林明寛さん(佐川心):ハサミで紐を切ろうとする。心くんは本当に根本的な解決を望んでいたんだな。被害者家族の周りから色々悲しい思いをさせられたけど、殺したいという思いを押し殺して、楓にも立ち直って欲しいって思ってた…。

町田宏器さん(城戸優弥):輪の上部。小指が立っててなるほど!という感じ。4本の指でしっかりと掴んでる。明確な恨みは劇中でも宣言していた通り。

滝口幸広さん(戸崎勝):城戸の近くだけど、戸崎は指一本でしか掴んでない。殺そうとはしているけど、あくまで自分は指一本程度しか荷担しないから、あとは当事者だけでゴタゴタしてくれよ、っていう感じがします。城戸を取り込んだり、心くんを動かしたり。あまり自ら手を下さないスタンス。


最初はみんな色々掴んでるだけだと思ったのに、よくよく見ると意味が隠れていて本当に凄い。伏線はフライヤーから始まっていた…?(?)
本当に花言葉の意味が気になるので、@info_zzz_linkまでお気軽にご連絡ください。お待ちしております(?)

 

そしてフライヤーの真ん中にある
「これが最後のおねだりだから」
雨の中、思い出の場所で、笑いながらゆらりゆらりと近づく2人のシーンで、このキャッチフレーズがすとんときました。

 

「これが最後に望むおねだりだから」
「これが最後に叶えるおねだりだから」

 

【おねだり】の応酬が終わったところで、幕が降りる。
(…となると紐の輪の中には楓とお姉さんその両方なのかな。なんかそんな気がしてきました。)


主演の小川さんが、カーテンコールの時お客さんの表情を見るのが楽しみとおっしゃっていました。
自分は嗚咽するぐらい凄く泣いたわけでもなく、笑いに笑って楽しんでいたのに、いつのまにか悲しい思いや恐怖感が出てきて、明確な、晴れ晴れとした気持ちはないけれど、だけど面白いと心の底から感じていて、なんとも微妙な顔をしていたんじゃないかなと思います。

 

 

書き出したら止まらなくて、とても長くなってしまいました。
それほどまでに、『おねだり』がくれたものは大きかったのだと思います。


ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
読んでくださった皆様に、わたしからの「おねだり」です。
10月5日・6日に大阪公演があります。
読んでくださった中には、行く予定はないから読んじゃえって方もいたと思いますが、もし、わたしの感想で『おねだり』に興味を抱いた方がいらっしゃったら、一回でもいいから見て欲しいです。
かくいう自分は大阪行けないので、あまり大きな声では言いませんが、この作品が、もっと多くの人に見てもらえたらな、なんて思ってます。
見れば見るほど深みが増す、まるで噛めば噛むほど味がでるスルメのような(?)、病みつきになる作品です。
散々ネタバレしておいてなんだよって感じかもしれないですけど、この作品の凄さは語りきれなくて、まさに百聞は一見に如かず。もしこれを気に会場に足を運んでくれる方がいらっしゃったら嬉しいな。

 

 

それでは本当に長々となりましたがそろそろ締めたいと思います。
最後に、ここまで読んでくださった皆さん、『おねだり』を作ってくださった演者の方々、製作陣の方々、『おねだり』に出会わせてくれた滝口さん、本当にありがとうございました。