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る年祭②・政宗と重長

る年祭ロスが続く1月、皆様いかがお過ごしでしょうか。

先日、政宗に関する自分なりの解釈をまとめたのですが、

(る年祭・伊達政宗について - info_blog_link)

る年祭を見納めてから2週間がたとうとしている日曜日、突然新しい解釈、というより仮説に近いものを思いついたので、再びちょぴっと纏めてみようかなと思います。

 

その名も、「重長は政宗の理想仮説」笑

前回記事を参照してほしいのですが、わたしは政宗の理想は社会福祉に近いものがあると思っていて、ただ人が死ぬのがいやなのではなく、生まれを理由に人生の選択が失われない世の中にしたいのだと考えています。

重長が幼い時に、政宗に子供がいないからと小十郎が重長を手に掛けようとした理由で「あいつが生きたいって願ったから」生かしたって政宗は言いますけど、あのセリフがどうにもしっくりこなくて、幼い重長がそんなこと言うんかなって正直思ってたんですね…笑

でもよくよく考えてみたら、「伊達」に仕える「片倉」の息子が、「伊達」に子息がいないからという理由で殺されるっていうのは、まさに「生まれ」を理由にして「生きる」って選択肢が失われてることで。自分が原因で自分の理想に反することが行われるのはそりゃ嫌だろうな…という。言い方を変えれば、政宗は重長に「生きる」て選択肢を与えることになるとも思います。

そして劇中で政宗は重長を真田の元に送り込んで「根津甚八」として(名付けたのは幸村ですが)生活をさせます。今まで仙台で暮らしていた重長にとっては新鮮な体験で、そこからの展開は自分が「片倉重長」か「根津甚八」か迷いに迷うぐらい自我を揺るがすもので。

正直九度山の生活の中で、「重長」が完全に「甚八」になってしまうかもしれなかた。劇中に出てきた「ミイラとりがミイラ」になってもしょうがないと思う。でもこれってある意味仙台藩の外では、こういう生き方もあるんだっていう選択肢を増やす経験にもなりえるな~って思うんですよ。

ここまで見ると、重長って政宗が描く、生まれで人生を決められることがない、ちゃんと自分で考えて決めた理想の人生を歩んでいて、その理想って重長が考えに考え抜いて最終的に「政宗とも幸村とも仙台で生きたい」って理想を決めた時点で達成されているな~って思いました。だから「重長は政宗の理想仮説」です笑

ただ一つ疑問なのがこの仮説で行くと幸村の元へ重長を連れ戻しに来たのが説明できないな~っていう…いったん離れた仙台の地へ帰って考えろということでしょうか…2週間たって記憶もおぼろげになってきて悲しいです…。多分近々るーちゃん様がまとめてくれると思うので参考にします(?)

書いてて思ったのが政宗さまの人を慮る姿勢ってすっごい丁寧だなって思いました。一人の男の人生のために、こんなに丁寧に環境整えてくれるなんて…正直現代でも家や親に振り回されてる子どもたち、いっぱいいるのに。もう凄い。かっこいい…。これから子ども達が生きていく社会を作るのに本当大人ががんばっていかなきゃなって思いました…(?)

人を慮る中で、人が死ぬことを選択肢の一つだと捉えた生き方もかっこよくて、すごい好きです。信之が幸村を殺しに来たのに気付いていた政宗、きっと幸村が死ぬことを受け入れているってわかってたから止めなかったんだろうなっていう…。どのように生きるかもどのように死ぬかも選択なんですね、っていう。

これもう政宗の気持ちになって考えると堪らなくなるんですけど、自分が丁寧に丁寧に育てた部下が、自分のもと以外で働くことも人生とわかっている中で自分と歩む道を選んだの、すっっっっごい嬉しいし、感無量じゃないですか…。本当に重長君、政宗さまと生きるって決めてくれてありがとう…(誰)

 

祭シリーズ、やっぱり思うことや考えることたくさんあって楽しい。こうして劇中に語られた過去のエピソードも何か理由があって語られているんだと思うのでもっと考えたい…脳みそあと10個は欲しい…!

1か月遅れのサンタさん、脳みそ10個、よろしくお願いします(?)